広布の一歩
今日は先日に話した新聞の切り抜きの中から今僕が読んでいて気に入った部分を紹介します。
4月16日付けの教学より。
善知識
まず、知識とは知人や友人を意味する言葉です。
善知識とはそういった人たちを正しく導いていくことを意味しています。
さらに、天台大師の「魔可止観」の中では、次の3つが挙げられています。
1、外護
母が子を養うように護る存在。
2、同行
志を同じくして、日々、切磋琢磨しあえる存在。
3、教授
正しい法を教え示してくれる存在。
この3つが生きていくうえでとても大切な‘知識’になっていくと僕は感じました。
今や親が子供を平気で見殺しにしたり、育児放棄して命を粗末にしたり
その逆も平然と行われていたりするのを度々テレビで流れているのを見ると
やるせなさと怒りと悲しみと・・・色んな感情がふつふつとわきあがってきます。
ついこの間は「死にたいが上に誰かを殺して死刑になりたかった。」などともはや
命のかけらも感じていない発言をしてる人がいることに嘆きましたね。
こういう人たちを見ていると、どうしても考えてしまうことがある。
戦争で苦しんで生きてきた人たち・それを乗り越えようと平和を目指してきた人たち
僕なんかは戦争はもう映像で表現されたものしか知らないけど
こんな訳のわからない理由で命を奪っていく世界を望んでいたのだろうか?
いや、そんなことは絶対に有り得ない。
皆が望んだ本当の‘平和’はこんなことじゃない!
そう心の底から叫んでくる声がある。
どんな小さな命だとしても、奪ってよい価値のない命はない!
だからこそ、命に対して正しい知識は必要だって僕は強く思ってる。
だって、何もできない命は1つとして存在しないんだから。